たくさんあるけどなにもない

たとえばあなたの家族、恋人、親友、言葉で言えないような関係、そんな大切な人が今いなくなったら、それはあなたの人生に影響を与えるのだろうと思う。

でもそれが今から20年、50年後かでは影響力が変わったり、無に近くなったりする可能性もある。

今の絶対は相対化できる。あるいは無意識になされる。何に執着しているの?何を忌み嫌ってるの?

時間がたてば今の評価は逆とか、45度或いは120度くらい違うかもしれないし、そういうことが世の中には本当にたくさんある。

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たとえに、作り話をしよう。

うさぎは飼い主の「ひぃちゃん」になついてた。

ひぃちゃんはある日いなくなった。

うさぎにはわからない。ひぃちゃんがどこかへ連れていかれたのか、ただ「存在しなくなった」のか。

でもうさぎは生きなきゃいけない。新しい飼い主の「山さん」におもねるしかないし、山さんもうさぎを可愛がってくれるようになる。

山さんも老いて亡くなり、山さんの息子さんがうさぎを看取ってお庭に埋葬する。

この例え話はただのありそうな仮想だ。生物が生きて死ぬ、それだけだ。何がどうなろうと、最終的にそれは何をも意味しない。

ドドコの鬼武者修行

“たくさんあるけどなにもない” への4件のフィードバック

  1. オステ より:

    自分が生きている限り何も変わらない 精神的にダメージはあるけれど変化した状況になれて対応してしまう 感じないというよりも状況に慣れちゃうんだね 親兄弟 人に公言できない関係の人 何人も先立たれてるけど俺は生きてる 何も変わって無いな…( ´ー`)y-~~

    • ドドコ より:

      通常その時は何も感じないわけじゃないですよね。でもおっしゃるとおり、慣れていく。
      で、オステオさんは生きてる。大事だとすれば「今生きてる」という事実だけだと思います。
      私は誰のことも愛しても憎んでもいないけど、みんなを大切に思ってます^^

  2. @RenHuuka より:

    まさにSPIRAL OF ZEROSPIRAL OF ZERO

    • ドドコ より:

      んー私の感覚だと 有=無 とか + = - とかかな。「廻る」的なのもない気が

      単に言葉に対する感覚の違いもあると思うけどね^^

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