諸行無常
色即是空、空即是色 これは、形のあるものは無であり、無がすなわち形を成している、という意味だと私は解釈してます。
そりゃそうだよね、くらいに思いますが。
形をもつものは壊れる、腐る、風化する。生きてる人は死ぬ。システムは変わって、本来の形を失う。当然といえば当然かなと。
ただ、形がないものもなくなってしまうんですね。
亡くなった知人を悼む気持ちは、時にとても痛いです。でもその人たちの体がなくなる時だったのだ、と納得してきました。
つらいのは、いつか通ったことのある気がした想いや心がなくなることだと感じます。
体という形は残ってる。でもその体に属してた、形のない何かがなくなってしまう。
この絶対的な孤独にぞっとします。
知人の母は高齢で、ご存命ですが痴呆が進んでいます。彼女は母親に会う時「こんにちは、お邪魔します」と挨拶するそうです。
母娘で解決しきれなかった想いも、母親の記憶にはない。母親にとって彼女は「お客さん」です。
「よくいらっしゃいました。まぁ、お茶でもどうぞ」
また別の友人で、生きて目の前にいるのに、存在しなくなった人がいます。
言葉はかろうじて通じる。けれど昔その姿を見て語り合った人はもういない。
体とわずかな記憶が残っているだけで、たった数年前までのように語り合うことはできない。
私の中にも、きっとなくなったものがあるんでしょう。
形がなくても、確かにあったと感じたもの、存在したもの、
それもなくなってしまうんですね。
頭で理解できても、そんなものは哀しみの前でなんの意味もない。
あるものはなくなる。なくなってもそれはある。それが真理だったとして、それがどうした。
どんなに正当性があっても論理的でも整合性が十分であっても、悲しいものは悲しい。痛いものは痛い。
諸行無常なんて大っ嫌いです。
それでも生きていかなくちゃ。
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