欠点の克服が難しい理由
の一つは、「その欠点をちょっとだけ肯定的に捉えている」からだ。

地球の皆さまこんばんは。ガリ勉おばさん:ドドコです。
わたしは去年くらいから、自分の欠点3つを、筆書きして居間に貼っている。
お察しのように、日頃から自分の欠点に自覚的でいることで、これを治そうとしとるわけです。しかしこんな風に貼っておけるのは独身だからでね。家族がいると「父ちゃん、ピノ食べる?」「おう、くれ」「3個あげるね!」「…おい、なんだこの変な味」「チョコミント!おいしいよ!」「バカそんなものばっかり食ってるからお前は勉強もスポーツもできないクソガキなのだ」「出た出た父ちゃんの欠点①押し付けがましい」「…」「②話をすり替える」「…」「③素直に謝れない」「…」「父ちゃん、素直にごめんなさいって言えよ」「…うるさい!そんな態度だからお前は虫歯だらけでブサイクでモテないのだ!」「カエルの子はカエル」ということになるので、一人暮らしは良いものです
しかし、なんぼ一人で暮らしても欠点は簡単に治らない。さっき晩飯の白身フライを揚げながら、なんでかなぁと考えてたんですね。以下思考
(‘ω’)なんで治んねーのかな
(‘ω’)…根本的に治んなくてもいいから、逆のフリしたらいんじゃね?
(‘ω’)『慎みがない』の逆ってなんだ
(‘ω’)『嘘つき』だな
(‘ω’)待て待て待て待て待て待て待てちがくね???????
(‘ω’)『慎みがある』だな
(‘ω’)でも『慎みがある』ってイヤだなー。上品ぶってはっきりモノ言わねえとか下品だ。だいたいはっきり言えないのは後ろめたいからだろ。『あの女やらしい体してる!』って言ってるやつより『魅力的な方ですよね』って言ってるムッツリスケベの方が700倍は気持ち悪いし『金持ちと結婚してええ』って言ってるやつより『お金がほしいんじゃなくて、あなたと一緒にいたいの』って言ってるやつの方が950倍はシバキたい
(‘ω’)…これ治すの無理じゃね??
そうだわたしは慎みが嫌いだ。白身フライを食いながらもうちょっと考えました。
そもそも、『慎みがない』のを治したい理由は、言わなくてもいいことを言って誤解されたり敬遠されたりするのを避けたいからだ。
では、『慎みがない⇒言わなくていいことを言う⇒誤解・敬遠される』であると仮定して、
『 X⇒言わなくていいことは言わない⇒誤解・敬遠されない』となるようなXを求める
X≒よく考えてから発言する かなあと思ったんだけど、これもなんか卑怯っぽくて好きになれないので、『X≒言葉を適切かつ上手に選ぶ』ということにした。これならイヤな感じはしないので目指せる。
ほか2つの欠点にも、こういう『目指せる逆概念』を作って、今日からこれを貼っとくことにしました。37歳児はひとつ大人になった。あとは欠点を改善するのみ(‘ω’)
一般的な話としてね、
欠点が治らない理由は、基本的には『自分の欠点を見たくない』からだろう。
しかし、直視や自覚ができても治せない場合、その理由は「そういう自分であることに納得してる」からかもしれんなあ、と思いました。『私は臆病だ』と思ってる人は、『リスク管理ができない人になりたくない』のかもしれない。『努力が続かない』人は、努力を注ぐ対象(仕事や趣味)に納得してないのかもしれない。無理に『リスク管理できない人』『納得してないのに頑張る人』を目指さなくても、『勇気あるリスクヘッジャー』とか『好きなことには5リットルくらい流血しながら励む人』とか、そういうかっこいい人を目指したらいい。
以上、一人で考えて面白かったけど話す相手もいないので、インターネッツの海に放流
白身フライが上手に揚がっておいしかったです(‘ω’)
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