矛盾の日常と裏切りの安寧

希望と絶望は対義語ではない

期待を口にした時にはかなわない予測がよぎる

生理的な 嫌悪感は自己嫌悪の裏返しで

ナルシシズムと同族嫌悪の類似が最近心地いいんですが、それもどうかとは思ってて。

それ応用すると、しかも平易にいうと、

好きは嫌い、嫌いは好きってことになってしまうし

きれいは汚い 汚いはきれい  とかの話にもつながってしまうし

だってね、日本語で中世くらいって「好き」ってのを「にくい」っていうのが特に識字率高いひとたちには一般的だったし、食べることや排泄は「ものする」、セックスは「帳を開く=顔を見る」だったりとか

美学をもっていられる人って大変なんだろうってのは十分思うけれどもうそうなりたいとも思わないな

ドドコの鬼武者修行

“矛盾の日常と裏切りの安寧” への2件のフィードバック

  1. Mitsuo Nakaya より:

    事実には時系列があるから単語の持つ意味は可変的だよね。
    平易に言おうとすると、その時系列を縮める事になって・・・やめとこw

    佐野さん、スピーカー通して聴くと一層入ってくるなぁ^^

  2. ドドコ より:

    ありていにいうとこの曲の意味がわかるって人には私の書いたことを解釈する必要もないわけよw

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