希望と絶望は対義語ではない 期待を口にした時にはかなわない予測がよぎる 生理的な 嫌悪感は自己嫌悪の裏返しで ナルシシズムと同族嫌悪の類似が最近心地いいんですが、それもどうかとは思ってて。 それ応用すると、しかも平易にいうと、 好きは嫌い、嫌いは好きってことになってしまうし きれいは汚い 汚いはきれい  とかの話にもつながってしまうし だってね、日本語で中世くらいって「好き」ってのを

寛容と狭量の甘えのどっちかを出したらどっちかが復讐してくるのは、面倒だけど納得はできてるつもりではいる。 でもそのあとホメオスタシスとアポトーシスがシーソー始めるのは割と本気でやめてほしい。 忍耐もわがままも同じにみえていやんなるし、なんか妙に酔っぱらう。