もしかして諦念退職

昨日までがなかなか大変なスケジュールだったので今日は何もしませんでした。

明日は外出する予定なので、わずかな社会性を装ってみようかと思います。しかし寒いですね。寒いだけですが。

ところで、これを読んでくださってるマイノリティー諸氏、「夢」ってありますか?

こうなりたい、何かで成功したい、誰かにこうなってほしい、どこかへ行ってみたい、イー・ティー・シー。(

「期待」とか。恋人がほしい。お子さんに、元気に育って幸せになってほしい。もうちょっと儲けたい。

ちょっと人に言えない期待もあり得るかな。誰かに不幸になってほしいとか、ある会社がなくなってほしいとか。

そういうのはある方が多分いいです。

どうやら私は夢も期待も希望も持っていないようですが、生きてはいます。夢があった時代より平穏なくらいです。

でも、夢も希望もない人生って、やはり楽しくないです。だから、夢がある人はその無意味さに気づかないように、できるだけ考えないようにした方がいいです。希望と絶望で彩られる人生っていいと思います。おりしも今BGMの林田健司氏が 「夢をつかむために皆生きてるから」 って歌っていてそれがうまいのなんのって。

諦めないってのもいいですね。困難にぶつかっても、努力して乗り越える。その努力ってのもある人にとっては大変なエネルギーを要するもので、ある人にとっては「ただの継続」だったりしますが。

恋をしている人、大変でしょうね。喜んだり傷ついたり。泣いて笑って。終わってもすぐ次の恋に落ちましょう。空虚に触れる時間が短縮できます。

結婚して、各種の感情で溢れる家庭を持つのも、大変そうですが退屈しなさそうでいいですね。身近なことに頭と体を使うのはいいことです。浮気は悪いこと。お子さんが健康に育つのはいいこと。相対化の必要がない。

中島義道さんという方が面白い本を出されていて、まだ読んだことのないもののひとつに「人生を(半分)降りる」 というのがあります。見かけたら買うかもしれません。

私は人生を降りるつもりはないんですが、どうも降りかけてる気がします。

まあ特に事故などの理由がなければ、それなりの年齢まで生きるでしょう。何も望んでないけど広い意味で学習は続けているので、まあなんとかなるでしょう。どうにもならない事態は避けるだろうから、何らかの形で生きるんだと思います。でもこれって本当に意味ないですねー。浪費じゃないかとさえ思えてくる。

昨日怒っている人を見ました。おそらく30代の女性。

羨ましかったです。

定年退職の年齢って、上がったのか上がる予定かでしたね。諦念を感じるのにR指定はないんでしょうか。

まだ20代なのに…。

ドドコの鬼武者修行

“もしかして諦念退職” への2件のフィードバック

  1. オステ より:

    いつしか子供の頃で言う未来の自分になっておりますが、もともと何かになりたいなんて思っていませんでしたので今の状況は当然の結果でありましょう
    老後がチラホラ見えかけてる年齢の自分に夢やら将来の希望なんぞありません あと5年生きれば俺が死んでも何とかなるだろうとか宝くじが当たって自由な生活にならんかなどしょーもない事しか頭にありません
    俺は人生を降りたい人なんですね 自殺は出来ないけどもうそろそろ終わりにならないかなといつも考えてます。

  2. ドドコ より:

    んー、オステオさんが「人生を降りたい」って言うならそうかもしれませんね。でも未成年の娘さんがいてそんなに簡単に「降り」られるでしょうか?個人差はあるでしょうけれど。
    このブログには私が思ったことしか書いていないので、たとえば「愛」についてはほぼ触れていませんが、もし娘様方を愛しておられるなら、死んでも生きても心配が尽きないんじゃないかと思います。あくまで私の推測ですが。

    最近「情」と「愛」の区別がわからなくなりました。同じじゃないかとすら。博愛主義だと言えばことたりるんですかね。

    あと、私見ですが「さいご」は望まなくても来ると思いますので、放っておけばいいと思います。どうせ死ぬんだし。それまで生きるだけだし。

    少し話がずれますが、娘さん方の笑顔や成功、喜びでオステオさんは全く何も感じませんか?

    何らかのポジがあればいいと願うのみです。

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